まじめちゃんのスナック体験
大阪,夜の街にて…
先日,高校の同窓会があって,結構酔っ払ってしまった。
そしてべろべろになり,海馬も前頭葉もバグった状態で,深夜2時ごろ,3次会に行った。
ふと意識を取り戻して到着したのは,大阪の難波にある,同級生の知り合いのお店だった。その店はいわゆるスナックで,女性と男性が一人ずつ,「ママ」,「マスター」としていらした。
友人がそこで働いているということにも驚きだったが,まあその時の感情については今回のテーマの主眼ではないから,割愛する。
酩酊していたため,おぼろげな風景の中で,私は,その街のありようを見ながら,そこでしか働き口がない人,そこで働く外国籍の人,そこでしか生きる価値を見いだせない人たちを目の当たりにした。
街には,ホストクラブ,風俗,キャバクラが並び,化粧が濃く,露出も多い女性や,顔や服にじゃらじゃら光るものをぶら下げた男性が,お客を探している。
そして,サラリーマンが吐いていたり,路上生活者の方が横になっていたりと,社会の「掃き溜め」,「底辺」と呼ばれる所以のような景色が広がっていた。
相反する感情
私は,いたってまじめに育ったから,そのお店で,見知らぬ異性が隣に座って話しかけてきたとき,とてつもない孤独を感じた。ここは私の居場所ではないと強く感じたのだ。
そして,その孤独感と共に,脳内では,「ここにいてはいけない」という声もずっと響いていた。かろうじて機能している前頭葉が,私に警告を鳴らしているのかなと思った。私は,この街が,私にとっていかに危険かを,理性的に知っていたからだ。
しかし,私から湧き出てくる感情の中で最も恐ろしかったのは,安心感であった。
限られた時間,限られたお金で結ばれている関係であるからこそ,自分とは一線を引いて,必ず干渉してこないという安心感。
だからこそ,目の前にいる,非常に風貌のよいこの人には,無限に自分の弱い部分を見せてもいいのかもしれない,親身に話を聞いてくれるかもしれないという安心感。
私の心の奥底のどこかにある不安や孤独を,この街なら満たしてくれるかもしれないという感覚が芽生えたのだ。
孤独と安心がまったく同時に存在するというのも変な話だが,あの場にいた私の感覚を言語化すると,まさに以上のような気持ちだった。だから,ずっとこの時間が続けばいいのに,と,早く帰りたい,という相反する感情が,混在していた。
自らの中の蔑視感情を問い直す
私が安心感と孤独感を覚えた理由はいくつか考えられた。
が,そのうちやはり大きかったのは,社会的なステータスでいうと最下層であるこの街と,この街の人々を卑下する気持ちがあったことが,原因として大きいだろう。
一方では,この街にいては自分が「堕落」してしまうのではないかと思う一心から,早くここを出ないといけない,と感じ,
もう一方では,ここは「最下層」だから,ここにいれば,もうこれ以上は「落ちぶれる」ことはない,努力する必要がない世界にずっといられるのではないか,と感じたのだ。
私の書き方に,不満を覚える人も多いことだろう。
その場所での仕事に,胸を張って働いている人には,上記の文章はあまりにも失礼に当たるだろう。
しかし,差別感情,蔑視感情を持たない人間が,この社会にいるだろうか。
本当に堕落した人間は,差別や蔑視を抱えた自分を顧みようとしない人間である。
だから私は,そんな自分を恥じ,軽蔑するとともに,そこで精いっぱい働いていらっしゃる人に,以上のような感情を持ってしまったことを,心からお詫び申し上げたい。
夜の街はいつでも
ただ,疑問があるのだ。
ここにいる人たちは,もっと別の職に就くことができなかったのだろうか。
ここに赴く人たちは,もっと別の,体にも心にも健全な,ストレスの解消法はなかったのだろうか。
こういった夜の街に,娯楽を求めざるをえない人たち。
こういった夜の街でしか,生きる価値を見いだせない人たち。
この人たちの多くは,他人に莫大なお金を遣うことに,自分の人生を賭ける。たとえいくらお金を貢ぎ込んでも,心の隙間を埋めてくれるような関係にはなれないとわかっているのに。気持ちとしての見返りは,決して返ってこないと知っているのに。
やはり,この世の中には,承認欲求が満たされていない,だとか,家族がいるがどこかしらで孤独を感じている,とか,そういった人々が多いのだろう。
この消費社会はどうしても,人々の心に欠乏感を生じさせてしまうらしい。
そんな,心になにがしかの闇・病みを抱えた人が,なんらかのきっかけで,夜の街とかかわりを持ち,見事に,その街の歯車に組み込まれてしまう。
自分が存在する意味が分からず,社会に対してとてつもない孤独を感じてしまう経験は,きっとだれにでもある。
夜の街は,その心の隙に取り入ってくる。また,その心の隙は,ネット世界やゲームにのめりこんでしまう心理や,恋愛関係でもつれてしまうことにもつながってくる。不安の矛先が違うだけだ。
だからこそ,自尊感情や,自己肯定感こそ重要なものはないのだろう。しかし,それすらも自己愛につながりあるから,ざまあない。
夜の街は,いつでもみなを手招いている。近づいてくる人物は,だれでも快く迎えてくれるだろう。
さて,この夜の街の引力に,一体だれが抵抗できるだろうか。
20220403